2007年、ベルギーのコンサルタントであるパトリック・デボワは、ベルギー政府省庁のデータセンター移行プロジェクトで認証と準備状況のテストを担当し、一方でアプリケーション開発者、他方でサーバー・データベース・ネットワークの運用担当者という二つの陣営の間にまたがって働いていた。両グループを隔てる壁——別々の手法、別々のスケジュール、相互の責任転嫁——は、IT運用にはもっと良いやり方があるはずだと彼を確信させた。

会議に名前を付けることでムーブメントに名前を付ける:デボワはヘントでの自身の集会を「Devopsdays」と名付け、そのかばん語は業界全体の停戦を指す業界自身の言葉として定着した。

2008年にトロントで開催されたAgile Conferenceで、アンドリュー・シェーファーが「アジャイルインフラストラクチャ」に関する飛び入り参加型の birds-of-a-feather セッションを告知したが、現れたのはデボワ一人だけだった。二人は「アジャイルシステム管理者」のGoogleグループを立ち上げたが、成果は限定的だった。転機は2009年に訪れた。O'Reilly Velocityに出席できなかったデボワは、ジョン・オールスパウとポール・ハモンドによるFlickrの今や伝説となった講演「10+ Deploys per Day: Dev and Ops Cooperation」を動画配信で視聴した。感化され——そしてソーシャルメディア上の人々に後押しされて——彼はその年、ヘントで自身のイベントを開催し、Devopsdaysと名付けた。

その名前はGoogleグループにはできなかったことを成し遂げた。散在していた一連の実践に単一のアイデンティティを与えたのだ。Devopsdaysは2010年にマウンテンビューへ、そして2018年までに30以上の都市へと広がった。「DevOps」という言葉は役職名、チーム名、会議のトラック、『The Phoenix Project』(2013年)、そしてPuppetのState of DevOpsレポート(2012年以降)へと移り変わっていった——このかばん語は今や業界が自らを語る言葉となっている。

2007年、パトリック・デボワ——ベルギーのコンサルタントであり、プロジェクトマネージャーであり、アジャイル実践者——は、ベルギー政府省庁のデータセンター移行プロジェクトに組み込まれ、二つの部族の間で認証と準備状況のテストを実行していた。急速な反復的変更を推し進めるアプリケーション開発者と、サーバー・データベース・ネットワークの安定性を守る運用チームである。分離の壁と相互の責任転嫁は、彼がプロジェクトを離れた後も持ち続ける不満を植え付けた。

2008年にトロントで開催されたAgile Conferenceで、アンドリュー・シェーファーは「アジャイルインフラストラクチャ」に関する即席の birds-of-a-feather セッションを招集した。現れたのはちょうど一人、デボワだけだった。二人は話し続け、Google上でアジャイルシステム管理者グループを結成したが、反響は限定的だった——アイデアは正しかったが、誰も旗を掲げて集まる先を持たなかった。

その旗が現れたのは2009年だった。O'Reilly Velocity Conferenceで、Flickrのジョン・オールスパウとポール・ハモンドは「10+ Deploys per Day: Dev and Ops Cooperation at Flickr」を発表し、「私のコードじゃない、お前のマシンの問題だ」という対立を演じながら、開発と運用はシームレスで透明かつ統合されたものにならなければならないと主張した。デボワはその配信を視聴して奮い立ち——ソーシャルメディア上の他の人々の促しもあって——ベルギーのヘントで自身の会議を立ち上げ、Devopsdaysと名付けた。「DevOps」という言葉が公式に上陸したのだ。

なぜ会議の名前が歴史におけるその言葉になったのか:このかばん語は対立する両陣営を一つの用語の中に収め、売るべき製品を持たない中立の実践者であるデボワは、その名前をベンダーではなくコミュニティに手渡した。Devopsdaysは2010年にアメリカ合衆国へ到達し、2018年までに30以上の都市に広がり、その言葉は今やチーム構造からState of DevOps調査レポートに至るまであらゆるものを表している。

実践はその言葉より前から存在していた——CIツール、アジャイル手法、クラウド自動化、Flickrのデプロイの物語——しかし名前がなければそれらは散在したままだった。名付けることでそれらは一つのムーブメントとして認識可能になった。

かばん語そのものが妥協点だった。両方の言葉がその用語の中に収まっていたため、どちらの側もアイデンティティを明け渡す必要がなく、敵対的な組織図の中でも採用しやすかった。

デボワはベンダーではなく結節点となる人だったため、その名前は中立の財産であり続けた——どの企業もそれを所有せず、どの競合もそれと戦う理由を持たなかった。

会議という形式がその言葉に毎年戻ってくる場を与え、実践者が集まれるようにしたことで、マーケティング部門ではなくコミュニティがDevOpsの意味を定義できるようになった。

物事に名前を付ければ、その物事は現実になる。実践は何年も前から流通していたが、ムーブメントは一つの言葉の周りに結集する——そして会議室を一つ持つ一人の実践者がその言葉を提供できる。

Devopsdaysは巡回する制度となった。Velocityの直後に2010年にマウンテンビューで初のアメリカ版が開催され、2018年までに世界中で30以上の会議が予定された。デボワが作った語彙は一つの文学を支えた——ジーン・キムの小説『The Phoenix Project』(2013年)、Puppet LabsのState of DevOpsレポート(2012年以降)、そして最終的にはDORAメトリクス——一方で「DevOpsエンジニア」はソフトウェア分野で最も一般的な役職名の一つとなった。デボワは今もなお、ミートアップを企画したほぼ副産物として作った言葉のゆえに、このムーブメントのゴッドファーザーとして紹介されている。

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出典

  1. The Origins of DevOps: What's in a Name? DevOps.com · devops.com ·
  2. Agile 2008 Toronto: Agile Infrastructure and Operations Presentation jedi.be (Patrick Debois's own blog) · jedi.be ·